僕がノートを書いても授業の内容を理解できない訳


授業中に先生が発言したこと。板書で書いたことをノートに写す。

僕がおススメする勉強本で『読むだけで面白いほど成績が上がる 高校生の勉強法』があります。そこにも書かれていますが、

自分が頭の中で理解していないノート。用は復習時に役に立たないノートになってしまっていることがポイントなのです。

 

「復習」というと大学・高校受験の勉強の復習に行きがちですが、勉強だけでなくて、勿論スポーツやアウトドア等についても当てはまることです。

例えば、毎日学校の放課後にサッカーのリフティングの練習をしたとする。最初は一回床でバウンドさせ、

インステップ(足の甲)で蹴り上げるワンバウンドが一般的ですが、何回か練習すると、インステップだけでできるようになってくる。

 

これは、スポーツの復習と言えるでしょう。リフティング練習からボールのコントロールが感覚がつかむことができて、ドリブルやシュートへの応用が可能になります。

でも復習すればうまくなるからといって、いきなりオリンピック選手並のドリブルやシュートの練習を何度も行えばいいってものではありません。

 

この復習について、ムダな時間、意味のない練習とは、完全には言い切れませんが、僕は「下手な復習」とよく言っています。

復習は大事だ!とよく言われている中で、基礎基本が欠けている復習をする人が増えてきているような気がします。

 

さっきのリフティング練習に例えるなら、いきなりの初心者が基本のリフティング練習をすればいいってものではない。

その背景に、その人の基礎体力ってものを考えていないからです。

 

例えば、60歳の初心者のおじいちゃんに「サッカーやるぞ→リフティング」をやらせるより

「サッカーやるぞ→でも運動に慣れていないかもしれないので準備体操から→基礎体力の運動→リフティング」

という流れのほうが、前者より自然であります。

 

勿論、いきなり試合にでてシュートやドリブルをしたいという気持ちも分からなくはありません。それはそれで、いい勉強にもなるし、楽しいでしょう。

しかし、基礎練習をせず、試合練習ばかり初心者にさせていては、よほど「考える」行為をしない限り、経験者との差が縮まないのは当然といえば当然です。

 

だから、試合練習による復習<基礎体力を身につける復習

のほうが、怪我や事故も考慮してそのほうが効率がいいのです。

 

僕の場合、小中学校時代、学校の授業をあまり聞いていませんでした。で、この聞いていないというのは、先生の話は聞いているけど、頭のなかで理解していないということに繋がりました。

用は聞くだけ聞いて、板書をノートにほぼ丸写しして「先生の話を聞く→その場で頭のなかで考える」行為をしてこなかったことが分かりました。

 

「考える」は、何回もお話した通り、学習する上で最も重要な部分であるため、そういった行為をせず、「下手な復習」ばかりしてきたのです。

で、その「下手な復習」を、先生の話<ノートに書いた内容 によって復習し、勉強してきたので、ある程度は点数はとれるけど肝心なところが抜けているという事態がおきてしまいました。

いくら、テストの見直しをしても…です。

その延長線上に何が起きたかというと、「人の話を聞いて、ノートをとらないとあまり理解できない」というクセができてしまった。そのため、仕事で上司に言われたことを「考える→理解する」ということができず、悩んでしまいました。

 

こういったクセというか「下手な復習」は相手に言われて気づく部分もありますが、最終的には自分の分かっていたものが、相手に言われて気づき、理解しなければ、自分で意識して治すことはできないと思っています。

 

だからこそ、ゲーム、勉強、スポーツだけでなくいろんなことを体験し、刺激していかなければならないし、それなりの「考える」時間もほしい訳です。

 

それが、できる人っていうのはやはり自分のことをよく知っていると思うし、相手のことについてよく考えてくれている人が多いように思えます。

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