「結果」は気づいたときに現れるもの


「結果がすべて」は正しいか?では、

☆世間や自分たちの周りに認めさせる、認識してもらうために形として残さなければならない。そのために「結果」がある。

すべて〇〇はだいたい怪しいと思っていい。

 

と述べました。

では、その「結果」だけを全身全霊意識して作業や練習に取り組むのかというと、そういうことではないと僕は思います。

「結果」はあくまで+αにすぎないからです。

という訳で、対談式でその詳細に迫っていきます。

 

僕:K君はアルコール水溶液の蒸留実験、中学校の理科でやったことある?

 

K君:全然覚えてないっす!!

 

 

僕:ありゃりゃ。じゃあ、今からK君の理科の先生に「こいつ、蒸留も知らないって」報告しようかなww

 

K君:やめてくださいよ!!蒸留はさすがに知ってますって!!

 

 

僕:まあ、それは後にしておいて、今回のような蒸留の実験をする時、生徒がどういった意識を持って実験をしているのかが重要なんです。

 

用は、結果(この場合、水より沸点が低いアルコールが先に留出するetc…)がこうなるというのを分かっていて

それだけを信じて実験をしてはいけないということなんです。

 

K君:でも、結果が分からなければ、何を信じていたら良いのか分かりませんよね?

 

僕:それがおかしいと僕は思うんです。そもそも「結果」がある前提で実験を行っている。

 

そうじゃなくて、「結果」を出すために「目的」を達成しているか。失敗しないようにどこに注意するのか。が大事なんです。

そもそも「結果」なんて、実験すれば分かるけど、人(各班)によって違う。実際の沸点温度、留出したアルコール濃度も異なる。

 

K君:答えは一つではないということですよね。タカボーさん、そんなこと言ってましたよね。

 

僕:その通り。覚えてくれてうれしいよ。

僕的には「結果」は、童話の『小人とクツ屋』みたいなものだと思うんだ。

まじめに一生懸命働いているのに、貧乏になってしまう。だけど、その様子をみた小人が靴屋さんが眠っている間に、皮の状態からクツを作り上げた。

 

自分(靴屋さん)では(今後の)結果を気にしていなかった、期待していなかったのに関わらず、気づいたときには、結果を出していた。クツが完成していた。

その「気づいたときに〇〇」が大事だということです。それが+αであり、「結果」なんです。

 

K君:じゃあ、今回の理科の実験の場合、どうすればいいんですか。

 

 

僕:理科の実験って目的と実験方法を説明されるでしょ。だから、実験方法をしっかり理解して、失敗しないように先生の話をよく聞くこと。これが前提です。

 

そうすれば、気づいたときには「結果」として、アルコールの留出ができている。

で、そこで止まるんじゃなくて、「じゃあ、なぜアルコール濃度100%留出できていないのか」「他の班や教科書はどうなのか」という探究心が大事だということです。

もちろん、先生に高評価してもらうために、レポートをキレイにみやすくまとめなければならないというのもあるだろう。

でも、それは「成績だけを意識していない」ということです。頭のいい人をよく見ればわかります。

 

K君:なるほど!!僕はそこまで熱心にはなれないけど、「結果」は気づいたときに〇〇だったというのは良くわかりました。

 

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