真面目に受け止めて何がダメになるのか。そこは気になるところです。
その前に、ダメであることが必ずしも悪いことではないということは念頭に入れておいたほうが良いでしょう。
「ダメ」をググってみると日常での「ダメ」と同じぐらいに、打ってもしょうがない場所を意味する囲碁の「ダメ」が検索されましたww
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どちらにしても、価値の無いことを示す言葉であるのは事実です。
ですが、「ダメ」であるということに気づくことはチャンスであると僕は思います。
そのチャンスを真面目に受け止めるか受け止めないか。その是非で価値が出てくるのか出てこないのかが分かってくる。と僕は思うんですけどね。
考え方で変わってくるものなのです。価値というのはそういったことから生み出す部分もある。
僕が中学2年生の頃の話になってしまいますが、その担任の先生があまりに包容力なく、とある友達が些細な事でミスをした時
「おまえ、人間としておかしいだろ」
と言われたことがありました。
その時、その友達は何を言ったかというと「はい」「分かりました」ぐらいしか言わなかった。顔の表情をみると「早く終われ」という言わんばかりの感じでした。
ここでムキになって反論したり、真面目に受け止めて「俺はどうしたらいいんだ」と引きずっていてはダメだということが分かっていたのでしょう。
まあ、もともと頭が良くて(勉強成績の意味だけではない)落ち着きのある子でしたから、何も心配することはないって思ってはいましたが。
その後、その子(と僕)は担任の先生嫌いになりました。僕と会話をしてる時に「あのやろうこそ人間としておかしい」とか結構裏で悪口をお互い笑い話をしたのを思い出します…(懐かしいww)
こいつと話しをして聞いても「ダメ」だという判断ができていた(受け止めなかった)からこそ、担任の先生の言葉に猛省することはなかった。流石だと思います。
最近は、自然より人と機械との関わる時間のほうが多い。そのため、「反面教師」の言葉を真面目に受け止めてしまう子どもが増えてきているように思えます。
「この先生はおかしいんじゃないか」と思って行動し判断しなければならない。それを「騒ぎを起こしたくない」「だからこれが当たり前」と思いストレスをため、自己嫌悪になってしまうのが一番良くない。
真面目は良いことばかりではないでも、同じような説明になってしまいましたが、用はそうならないために、なるべく外に出て入出力のループを回す。これが一番です。
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