「見て見ぬふり」は必然的なこと

「見て見ぬふり」はしてはいけない。傍観者になってはいけない。

と世間ではよく言われますが、私達は日常で生活している時点で既に見て見ぬふりをしているのです。

親が家事をしても手伝わない。宿題サボってゲームをする。政治選挙にいかない。全部該当します。だから、「見て見ぬふり」というのは、必然的なことなのです。

 

戦前に海軍実習生の養成制度で「予科練」というものがありました。

当時の子どもたちはとりあえず、戦闘に向けて言われたとおり身体を動かし訓練をしてきた。

しかし、戦後になって平和になったものですから、今まで言わた通りに訓練してきた子は、信用性を失い、今後何をしてきたらいいのか分からなくなった。

 

今まで「一億玉砕」「欲しがりません、勝つまでは」を脳裏に叩き込まれて成長してきたわけですから。

 

そこで、自分より弱い子をイジメるわけです。訓練で鍛えられた身体ですから尚たちが悪い。当時のイジメは現在よりもひどかったと思います。「見て見ぬふり」をしなければ、自分がやられる可能性もありましたから。

 

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僕自身も、「見て見ぬふり」に関しては何度もしてきました。

しかし、そのつけなのかある時、僕が被害者になった時に周りが「見て見ぬふり」をしてきた。自分が今までそういったことをやってきたのですから、当然といえば当然でした。

 

 

俺には関係ない。関わりたくない。という気持ちが一番大きいのでしょう。ただ、その影響というのは必ず自分に返ってくる。今までの経験からそう僕は思います。

 

人間と関わる上で、そういった距離感というのは難しいものです。論理的に分かるものでもない。だから最初から期待せずに、虫とか魚といった生き物でも相手にしていろと言ってるわけです。

 

しかし、学校や会社に通っている以上そういったことは避けて通れません。

であるならば、自分にとって迷惑であったり嫌なことであれば、見て見ぬふりをせず助けてあげればいい。

 

これを言うと、「相手(被害者)の気持ちはどうなってもいいのか」を反論してくる方がいますが、「じゃあ、今の僕やおまえの家族の気持ち分かるのか?」ということです。そんなの分かりっこない。

 

ちなみにメンタリストはすごいと思いますが、あれも信用していません。

 

という訳で、自分に返ってくるものだということを前提にして、「見て見ぬふり」をすべきかするべきではないかと考える。

そうすれば、人の命を雑に扱ってはいけないということがよく分かるはずです。

 

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