久しぶりに実家に帰り、弟が林間学校にいくそうで話が盛り上がりましたが、僕がこれで思い出したのが、身体障害や発達障害等の児童の扱いについてです。
過去にこんなことがありました。
発達障害の子が普通学級の子と一緒に林間学校に行くという話になり、とある母親が
「うちの子は本当に2泊3日も林間学校に行けるのでしょうか。食事だって偏食がひどいのに…1泊ならなんとかなりますが…」
「体力のことも心配です。このプランだと4時間も山歩き(ウォークラリー)することになっていますが、普通学級の子と一緒にグループで行動するなんて無理がありませんか。」
「せめて1泊2日にして、時間を決めて途中で私が送り迎えしてもいいですか」
というものです。
それに対してY先生は
「1泊2日は基本できません。K君が本当に身体、精神的に何らかの問題がある時に奥さんに電話してK君を棄権させます。学校側としては、○時○分という時間指定はできません。それまで待機という形になります。」
「他の子だって、2泊3日で参加すると言っているんですよ。大丈夫です。」
という一点張りで、K君は参加しなければならない雰囲気になりました。
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そこで母親はスクールカウンセラーに相談し、親身に聞いてくれたそうなのですが、学校側にこうしてくれといってくれたのにも関わらず、「それは無理だ。プランも立っていて、意見の反映はできない」で話が解決してしまったそうです。
ここで僕がおかしいなとおもったことは3つあります。
K君は本当に体力的に無理なのか
「4時間のウォークラリーを母親は無理だ」と断言してました。
本当にそうなのだろうかということです。
身体、発達障害でない普通学級の子でも、かなりキツイと思います。だから自然に触れ合うというのは、楽なことだけではないということです。
そういった目的を知らずに、母親の偏見で「私なんてとても4時間山歩きなんて無理。うちの子はなおさら障害者だから無理に決まっている」
で参加させないのはおかしいと思いました。それは心配ではなく、ただの過保護です。
体力があるかないかで参加を決めるものではない。そんなの実際歩かなきゃ分からないじゃないか。そうやって子どもは達成した喜びと同時に成長するのです。
Y先生の判断だけではない。
林間学校の担当の先生が、N先生なのに何故か林間学校に参加しない助教員のY先生の意見に周りが流されてしまっている。
これは僕が前にブログで書いた「「権力」で僕が悩み苦しんだこと ~男女関係~」に関連してきます。
用は、N先生に「責任」という自覚を持っていないということ。これはある意味逃げです。
「Y先生はそういう意見かもしれないけど、最終判断は担当であるこの私が責任を持って決めます。」
といえば良いのに中々言えない。
話を聞いている内に、そこが根本原因なのではと思いました。
総理大臣の意見ですべて動くような政治であればそれは「独裁」である。
と言いますが、その通りです。
そうならないように他の先生や周りの人と相談することが大事です。で、責任者が責任を持って決める。
そういったことが先生という立場なのにできないのが恥辱です。
スクールカウンセラーに問題が
僕が思うスクールカウンセラーの問題点は、聞くだけ聞いて行動を曖昧にして結果をださない。ということです。
「聞く」ということにたいして親身になってくれるのは確かです。そこに関してはベテランとも言えるでしょう。
しかし、それだけで終わってしまっている。それはある意味もったいないと思います。
きつく言えば、どこか他人事のように考えている。まあ、確かに他人事ですが…
だから、最初からスクールカウンセラーに期待するのはおかしいと僕は言っているのです。やはり、自分で行動して結果を出すしかない。
…という訳で、先生側と親側に問題点を言いましたが、そこに当事者のK君の意見が反映されていないのも変です。大人たちで解決してもK君はただ黙って動くしかないのです。
そんなことをして林間学校に行くぐらいなら、行かないほうがまだマシだと思います。参加すればいい経験にはなりますが、一方で林間学校がすべてではない。その子にはその子なりのペースがある。ということは念頭に入れておいたほうが良いでしょう。