名言かどうかは分かりませんが、「お金で買えるものはない」という言葉がライブドアの件で一時期流行っていたことがありました。
僕の知り合いで、これに反対する人がいます。「命を買うことができないだろう」と。
でも、少なくとも私たちは、命を頂いて生きているわけです。肉や魚、野菜といった命を美味しく食べています。
では、そういった食べ物はどこで買うのか。コンビニやスーパー、最近ではネット通販という人も多くなってきました。
どちらにしても、私達の給料でお金を払って食べ物を買っているのは事実です。普通に命をお金で買っているわけです。
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「金で命を救うことができないだろう」という意見もあります。
確かに遺体がない状態でご先祖様を復活させるのは、今のところ不可能です。でも、3.11の震災で支援金や支援があったからこそ、被災者の命を救うことができた。ということを考えると、お金で命を救うことができるいう考えはよく分かります。
だから、「お金で買えるものはない」という考え方は、唐突的でもその事自体は間違ってはいないと僕は思います。
しかし…です。
養老孟司氏の『超バカの壁』(https://www.amazon.co.jp/dp/4106101491)で、「金の問題」に関して、「何々がすべて」という考え方は大方怪しいと思ったほうが良いと言っています。
だから、金は単なる権利だと理解したほうが、現実を広く見ることができるのです。少なくても、「お金で買えるものはない」と思っている人は、意識先行の世界にどっぷり浸かっていると思います。
こんな大事なことで、何でお金によって動くんだ。金で動くんだからそこまで大事なことではない。
という人がもっと沢山いてもおかしくはなったのかもしれません。
ところで、室町時代は貨幣がなかったため、物々交換でやりくりしていたそうなのですが、江戸時代へ入り金座や銀座(造幣所)が設けられたため、貨幣経済が浸透し、現在に至っています。
ここで、僕が言いたいのは、モノがお金の数字(値段)という価値で決められてしまった(イコールになる)ことです。
脳の中で、情報化すると分かりやすくなるというのは、ご存知なのかもしれませんが、やはり、そういった乱暴的な考えになった挙句、都市化社会をつくりだしたのかもしれません。
そういった考え方を、競馬や株、ビジネスばかりやっていると、中々気づかないのかもしれません。だから、時々は物々交換でもしたほうが良いのではと思ってしまいます。
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