「セキュリティー」と「信頼」

「セキュリティ」という言葉。会社の規模が大きいほど、どうしても頑なになってしまいます。それはそれで仕事が成り立たない部分もあるので仕方がありません。が、

僕はこれに「信頼」を付け加えてよく考えています。

「セキュリティ」でお客様の安全を確保することで、心強い、安心できると思いがちですが、一方で「信頼」できていないという見方もできるのではないでしょうか。

ちょうど反比例しているのです。

 

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日本人はそういった硬直な保安や警備で、「信頼」を築くのはあまり向いていないのではと思うのです。こういった思考は欧米的なのです。

僕の兄が「いくらメールや電話をしても相手(上司)が意見を聞いてくれない。」と言いましたが、それは会社の規模が大きすぎて、目的が社員同士で異なり、信頼性が低くなってしまっているといってよいでしょう。

 

「お客様に我々〇〇会社の信頼性を高める」

を理念に仕事をするケースが多いようですが、お客さん以前に、今私の周りにいる社員との「信頼」はどうなのかということを考えるべきです。

同じ会社で働いている「社員」との信頼を築けないようであれば、お客さんが弊社に信頼できるはずがありません。

「こんなやつ、うちの会社にいたっけ?」と言っているようでは、共同体が脆いと言ってよいでしょう。まあ、よくあることですが、それが大企業の良くないところです。

 

そこで、上司は何を考えるかというと、強硬手段に出るわけです。「俺に意見に従え。さもなければクビだ」「クビにしてもまた雇えば良い」と。

そういった欧米的な考えは一見効率が良いように見えますが、時間やコスト、労力を考えると、失う部分のほうが多いように思えます。

 

だから、江戸時代の「5人組制度」を見習えと僕は言っているのです。

幕府や領主に支配され、貧しい生活ではあったものの、お互いに信頼し柔軟にカバーし合えたからこそ、なんとか生き延びることができた。

そちらのほうが、日本らしいといえるでしょう。

「指切りげんまん」「針千本飲ます」においても、今では全く見かけなくなりました。これほど楽で信頼度のある約束事はないのに。

 

という訳で、「セキュリティー」を主体に安全を確保しようとする思考は今後も伸びていくと言って良いでしょう。そういったIT分野の会社も増えると思います。

 

ただ、そうすると「相手が見えない信頼」ということがでてくる。ラインやツイッターと同じように、どこかバーチャル的な感覚がうまれる。

だから、「俺の意見を聞いてくれ」とメールや電話をしても「あ、ごめん。知らなかった」で済んでしまう。

 

会社で信頼できない相手の意見をいちいち聞くなんて、よほどのお人好しでない限りはできません。そんなこと当たり前です。

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