また、養老氏か…と言いたいですが、著書の『「自分」の壁』に若者の自分にグッときた言葉があります。
「真面目な人より、フラフラ生きて目の前のことをやっていく人のほうが、周りをよくみている。」です。(一部編集)
僕も、どちらかと言うと真面目な人間です。自分で真面目というのは変ですが、別に良いことだけではないというのを本書を読んでよくわかりました。
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真面目に世間と付き合うほど、木を見て森を見ない状態になるのです。その辺をやはり意識して考えていかなければならない。
「自分が産まれる前に世間があってその世間に自分がおじゃました。」この表現の言い方は実にうまいなぁと思いました。
だから、「世間がそう簡単に変わるわけがない。」その変わらないことに不安を持ってしまうのは若者である自分も強く感じた部分がありました。だから世間を変えようと真面目に取り組んでいた訳です。
何故こんなことになったのか。学校の授業の歴史で、変わらないことの大切さを教えてもらっていないからです。
教科書を見ると、何年の何月に誰がこんな事件を起こした。幕府を開いた。ということがピックアップされすぎています。(もしくはそれしかない)
確かに、歴史の勉強をする上ではそうしなければ成り立たない部分もあるとは思います。
しかし、少なくても先生が歴史の授業をする前に「事件ばかり並べてある歴史だけど、変わらない時間のほうが長い。だから変わらないことの大切さを理解して授業を受けろ。」と、一言付け加えてほしかった。
で、なければこんなメタメッセージの影響をたくさんの若者は受けなかったと思います。
また、ゲームやアニメなんかそういった事件ばかりを人工的にピックアップしているので、変わることに意味がある。世間を変えなければならないという誤解をどうしてもしてしまう。
人間である以上、そういった誤解は誰にでもあると養老氏はおっしゃっています。ですが、誤解を招く前にたった1言でもいいので付け加えるべきだと思います。
でも、そう言っても「俺は知らない聞いていない」と文句を言ってくる人もいます。それは、口約束だけでは契約したことにならないことと直結しているのかもしれません。口約束ほど低コストなものはないのに。
養老氏の「無理やり止めることができない」と言い切れるのはその後の話です。
小玉歩さんなんか、もし不真面目でフラフラして生きていたらきっと退職した会社にいたのではないでしょうか。
それが良いか悪いかはともかく、目の前の事に精一杯やってみる。精一杯やっている内に、世の中に役立っていく。世の中を変えていくことに繋がる。
または、自分の行動が世間が認めてくれる。もしくは反応があれば、僕はそれで良いと思っています。大学の研究で、僕の試験データが展示会で公表された時の嬉しさは、今でも覚えています。
だから、ある程度、上司が麻雀してたり、フラフラしてもいいのではないでしょうか。それで、世間が認めていればエネルギーを大にして批判することはないと思います。(最近は厳しくなりましたが)
世間が認めたということは、大胆ですが、自分を生かしてくれていることに他ならないのですから。
今、生かしておけることにありがたく幸せに思うことです。
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