「授業」はなぜ受けなければならないのか?

教育機関に携わっていた自分が言うのも何ですが、「授業」というのは勉強を生徒に押し付けているのではと思います。

学校に行かなければならない。何故学校に行かなければならないのか。

そう思う子もいるのではないでしょうか。かく言う僕もそう感じたことがありました。

 

「勉強をするためだから」「コミュニケーションを向上させる」と先生や親はよく言いますが、それなら家でも勉強はできるし、コミュニケーションを向上させるなら、バイトやボランティアでも可能です。

挙句の果てには、「みんな通っているから」「義務教育だから」という方もいるでしょう。

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「授業」とは何のためにあるのか?という質問に一部の教員が、以上のことを答えたり、はっきり答えられなかったりするから僕としては結構ショックを受けたりする。

意味も分からずに「授業」をしているならそもそも授業なんてする価値はありません。だったら自主勉強するか、頭のいい友達や先輩に教わったほうがよほどいい刺激になる。

 

結論からいうと、「生きるため」「生き残るため」に授業は存在する。僕はそう思っています。

授業を受けないと死ぬの?という理屈にまわる方もいるでしょうが、別に授業を受けないからって死ぬわけではありません…

 

ただ、(今後大人になって)生きるために苦労するという話です。学校がなくて勉強ができない貧しい国の子たちをみればよく分かります。

だから、最低限教育を受ける環境は整えなければならない。そのために先生というのは存在し、授業というかたちで生徒に国語や算数を教えている。ただそれだけなのです。

 

実際こういうのは、口で説明しても生徒には「ふーん」で終わってしまうケースが多い。理屈では理解できても、どこかピンとこない。それは僕もそうでしたから、生徒の様子をみればすぐ分かりました。

だから、カンボジアとかソマリアにでも行ってそういった体験をするといいと僕は思います。今の生活がどれだけ楽で幸せで便利かよく分かるでしょう。

 

でも、生徒全員を連れて行くのは予算的に苦しい部分があるので、スカイプやグーグルハングアウトを使って同年代の子たちと一度話し合う機会をつくればいい経験になるのではないでしょうか。

中学、高校に進んでいくほど「受験」に押しつぶされて 「何で数学なんてやってるんだろう」と思い、志望校に合格するためだと考えるパターンが多いようです。

 

それはそれで良いですが、そこで(勉強嫌いになって)自主的に学ぶ意欲がなくなってはいけないと僕は思います。ゆとり教育がどうだからという問題ではない。

時には原点に戻ることも大事なのです。

 

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