クラス分け=先生だけで解決すべきではない

日本の教育現場(学校)を見ると、先生による一方的な講義というのがまだまだ浸透していますね。ディスカッションやディベートが主流の海外とは違うというのがはっきり分かります。

でも、そういったディスカッションやディベート形式ばかりを推進させるのは単純に考えているのでは?と僕は思います。

ディスカッションでも一部の生徒だけが盛り上がっていてはあまり意味が無いということです。

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そういったメリットやデメリットをよく考えて、今の環境や状況にそっているかよく観察することが大事だからです。

最終的な目標を見失っていないか。周りの生徒は先生に対して今、何を求めているのか。それを心に留めて、授業を見守ることを僕はよくやっていました。先生と生徒の波形が同調できるように…です。

 

そのために、学生に選択授業させるのは、とてもいい方法だと思います。学生が先生を選択できるというシステムです。ただ、選択授業を頭のいい悪いでクラス分けするのは、どこかぎこちない。

 

例えば、Aクラス、Bクラス、Cクラスがあったとします。全部数学(算数)の授業であり、同じ時間帯に授業を行います。

よく見かえるのは、Aクラスを優等生クラス、Cクラスをテストの点数の悪かったクラスにするというパターンです。

効率的には良いように思えますが、これは生徒による一方的な押し付けしているシステムだということを先生側からするとよく分かってないと思います。

 

何故かと言うと、生徒自身の意見が反映されていないからです。

〇〇君と一緒のクラスになりたかったけど、今年は違うクラスだった。あれと似たような感じです。

少なくとも〇〇君と一緒にしてくれという意見を、少なくても先生が聞くシステムを作ればよかった。意見を取り入れるか入れないかはその後の問題です。

 

だから、最初にクラス分けをしないほうが良いと思います。先生と生徒の相性というのもありますし。

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